日本海縦貫線「半縦断」ロングシートの旅、いよいよ大団円である
特に盛り上がることもなく延々と続いている「日本海“半”縦断旅」、いよいよクライマックスである。最終目的地は青森ではなく新青森なのは、このあと北海道新幹線に乗る予定にしていたからだ。
秋田からは午前9時46分、大館行き1647Mに乗る予定だが、その前に秋田で是非訪問しておきたい場所があるので、ちょっと早めに宿を出て市内を散策した。
それがここだ。
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すでに店名の看板からして貫禄丸出しだ |
秋田を代表する老舗百貨店「木内(きのうち)」だ。正式には「かつて秋田を代表する百貨店だった」と言ったほうが正しい。「かつて」というのは現在は全国百貨店協会の登録から外れているため、いわゆるデパートではなくなっているからだ。以前出張で秋田市に来た際、この店の前を通りがかった時に、あまりに貫禄ある佇まいと、明らかに百貨店としては閑散としているそのギャップに目が釘付けになった。しかし残念ながらその時は訪問する時間がなく、ずっと気になったままだったのだが、その後ネットで調べたところ、この「木内」について紹介している多くのサイトがあることがわかった。そこでは多くの方がこのデパートのかつての栄華について語っているので、ここでは詳しくは書かないが、この建物(というよりまだしっかりと営業しているので「この店」と言ったほうが良い)は、とにかく高度成長期の古き良き時代を今に伝えているのだ。
現在は1階部分だけで営業しているだけの婦人物中心の衣料品店となっているようが、建物自体は地上3階建てではあるものの、地方都市としてはかなり立派なデパートだった。当時は「秋田の三越」と呼ばれるほど、地域の人々にとってのステータスシンボルだったそうだ。
今回は急いでいたため日中の建物のロングショットを撮り忘れてしまったので、その全体像を見ていただけないのが残念だが、何しろその建物の大きさに圧倒される。是非、「木内」を紹介している他サイトで見ていただきたいが、地図で建物の敷地面積を確認したところ、正面の間口こそ30mほどだが、奥行きは110mもある。敷地の規模だけで比較すると、現在建て替えが進んでいる大阪梅田の阪神百貨店本店とほぼ同じだ。つまり1階だけで比較すれば大都市のデパートにも負けない広さがあるのだ。さすがは「秋田の三越」だ。
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営業時間は10:00から17:00 なんと水・木に加え日曜日も定休日 |
何としても店内を視察したかったのだが、残念ながら開店が10時ということでそれはかなわなかった。しかしながら、まだ開店まで30分以上あるというのに、すでにシャッターを開け、店内では店員が開店準備を着々と進めているのがうかがえた。外から覗いただけでも、ピカピカに磨かれた床と、凝った作りの照明器具が見える。「木内」のファンサイト(と勝手に自分だけが言っているのだが)によると、今でもお釣りは新札、包装紙と紙袋はオリジナルの美麗なデザインのものが使われているという。さらには今でも消費税を取っていないというのだから驚きを通り越して、もはや世界産業遺産級の店舗なのだ。
もうこうなるとどうしても訪問しないわけにはいかないが、列車を1本遅らせると今後の予定に響いてしまう。「木内」探訪はまた次回、「臨時馬鹿列車の回」に回して急いで秋田駅に向かった。次回訪問まで頑張って営業してください。なおせっかくなので、「木内」のノスタルジー溢れる夜の外観だけでもご紹介しておく。
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真っ赤なネオンが煌々とひかる 存在感抜群 |
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店舗正面のバス停は「木内前」 岡山天満屋かはたまた日本橋三越レベルのランドマーク |
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去りがたい気持ちで裏口も撮影 こちらも立派なものだ |
さて出発を前に少々ディープな時間を過ごしてしまった。本番はここからである。
秋田駅には戻った時点で既に時刻は9:35、一体どれほどの乗客がいるかわからず少々慌てた。なにしろ「敵」はロングシートだ。立ち続けということはないにせよ、座席定員いっぱいで1時間以上移動するようなことになったら、さすがに気分が萎える。
ということでいそいそとホームに到着。「・・・を押せばドアが開きます」とクイズみたいな案内に従って、半自動ドアを開けて車内に入ってみると心配していたほどの乗車率ではなく一安心した。
とはいえ、着座率は6割ほどで隣同士が肩を並べるとまではいかなくても、グループ以外は皆となりの1人分を空けて座っている感じだ。通勤通学時間帯の秋田方面行きの列車ならばやはり結構な混雑なのだろう。乗客のキャラクターは老若男女様々で会社員風の男性から、観光客、学生など人数の割に多彩だ。自分の隣に座ったのは、20代と思われるちょっとおしゃれな女性2人組だった。一人はディオールの紙袋を抱えている。大きなお世話だが午前中のこの中途半端な時間に秋田から大館方向にどういう用事があるのだろうか。この女性たちと反対側の席には、きちんとした背広姿の中年男性が座っている。パッと見たところ学校の先生のような佇まいだ。とにかくいろいろな人たちが利用していることがわかる。こういう人間観察にはロングシートは向いている。
ワンマン運転の2両編成 N33編成とある
さてそうこうしているうちに秋田駅を定刻に発車した701系はきょうも軽快に加速していく。やはり速さを実感する。この軽快さと比べれば、客車時代の通勤通学は結構な苦行だったのではないかと思う。旅行目的ではなく日常利用であれば、701系の貢献ははかりしれないだろう。
さて秋田駅を出ると、首都圏でよく見かけた様々な車両が留置されている秋田車両センターの脇を駆け抜ける。そこからしばらく走ると、風景は市街地から田園地帯に変わり、まもなく秋田市の北隣、潟上市の広大な農地が視界に広がる。列車は八郎潟の南端に近づいてきた。
車内はそこそこの着席率のため、あまり露骨に横向きに座るわけにはいかないが、それでも車窓に顔を向けると秋田ならではの絶景を楽しめる。実はスマホのカメラだけを窓枠において、顔はやや窓側に向けているだけなのであまり長い時間、車窓を楽しめるわけではないが、こうした苦労はロングシートの旅ならではのご愛嬌だ。
確かにこうなると進行方向に向かって(あるいは逆向きにして)座れたらなぁ、と思ってしまうが、クロスシートならばなんでもいいのか?といえば、自分の場合は必ずしもそうでもないのではないかと思う。かつて背ズリは板張り、照明は白熱灯という60系などの旧式客車で移動したり、エアコンもない35系客車の夜行急行で九州から大阪まで移動していた時代のことを思えば、ロングシートとはいえ座り心地もよく高速移動できる701系はある意味快適だ。もちろん旅情という旅の楽しみは旧型客車の方がはるかにあることに異論はないが、21世紀の鉄道旅ではこういうスタイルになるのは仕方がないのではないかとも思う。要は「乗り鉄」ならば、その時代のその環境に合わせて旅を楽しむことが大事なのだろう。(と自分に言い聞かせる。)
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東能代で五能線の列車と接続 サボはまだ東能代行きのまま |
さてそんな大館行き1647M列車も東能代で大方の乗客が下車して車内は一気に閑散としてきた。件の観光客や女性たちも東能代で下車していった。東能代では五能線を4時間25分かけて全線走破する弘前行きの普通列車と接続している。こちらに乗り換えれば日本海の絶景を旅情あふれるクロスシートで存分に堪能できるが、今回の目的は「ロングシートの旅」だ。この列車はまたの機会に楽しみを残しておくことにした。我ながらとにかく物好きこの上ない「バカ旅」である。
ここまで約1時間、行程は半分以上終えたが、まだ大館まではこのあと40分ほどある。ところでこの1467Mは全行程ワンマン運転なのだが、なぜか後位側の運転台に乗務員が同乗していた。もちろん車掌の業務をするわけでもなく、どういうわけかと思っていたらこの乗務員も東能代で下車していった。何かの運用の都合だろうが、随分と長時間の「便乗運用」があるものだ。
さて東能代を出発した列車は数少ない乗客を乗せて、引き続き快走を続ける。あらためてガラーんとした車内を見ると、通路の上にずらりと並んだつり革が規則正しくリズムを刻んで揺れているのが面白い。
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だれも掴んでくれないので手持ち無沙汰なつり革たち |
彼らは一体一日どれくらい「仕事をしている」のか。多分朝のごく一部のラッシュ時以外はこうしてリズムを刻んでいるだけなのだろう。
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半室構造の運転台は前面眺望抜群 長編成の貨物列車との迫力あるすれ違いも楽しい |
このくらい空いていれば車内の移動に手間取ることはないが、実はトイレなどに席を立つときには圧倒的にロングシートの方が楽だ。もちろん立ち客が大勢いては元も子もないが、クロスシートの窓側に座っていた場合、同じボックスに他の乗客が座っていると、少なからず席を立つことで相手に気を使ってしまうが、ロングの場合は目の前がいきなり通路という気楽さがある。トイレが近い人にとってはロングシートに軍配が上がるのである。なお感じ方には個人差があるのでご了承いただきたい。
ところで少々汚い話で恐縮だが、この701系のトイレは他の形式では見たことのない、ちょっと変わった構造になっている。見た目は通常の洋式トイレだが、利用者が個室に入るとセンサーが反応して、便器内側の蓋が自動的に開くようになっていて、洗浄が終わると自動的にしまる。どうも車内に臭いが入らない構造にしているらしい。確かにおかげでE217系のような今となっては旧態然としたトイレと比べるとこちらの方が臭いもなくとても清潔感がある。ただ内側のふたを開けるだけのためのセンサーというのも随分手の込んだ設備だ。せっかくだから流す際も自動で流して欲しいところだが、このローカル線では過剰投資であることは確かだ。東洋経済オンラインの記事で「乗りたくない残念な列車10選」のトップを飾るなど何かと散々な評判を頂戴している701系だが、よく観察すると色々な面でよくできた電車でもあるのだ。
そう思いながら改めてシートを見ると、メンテナンスも良いのかバケット構造の作りもそう悪くない。さすがに応接間のソファーというわけにはいかないが、長時間乗っていてもさほど苦にはならない。ただし扉との間の座席袖の仕切りは都会の電車と同じ構造だ。いくら半自動ドアとはいえ、真冬の乗降時は相当に寒風に晒されることは間違いない。旅人にとっては乗る季節を選ばないと苦行のレベルはさらに上がること間違いなしだ。
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豊根・二ツ井間で米代川を渡る |
列車は豊根・二ツ井間で米代川を渡る。このあと列車は大館の手前まで米代川の右岸に沿って進む。エメラルドグリーンの穏やかな流れが美しい。とはいえ、いちいち顔を窓の方に向けなければいけないのはどうにも面倒だ。おまけにいくら空いているからといって、ずっと横向きに座るのも疲れるものだ。
ただ終着大館はもうあと一息である。途中、唯一の通過駅・糠沢を過ぎた。周りを見れば民家もそこそこあるにも関わらず、1日の大半の列車は通過するようだ。秘境駅だらけのJR北海道ももう少し考えた方がいいのかもしれない。
そんなこと考えているうちに、列車は定刻通り無事大館に到着した。
大館といえば、ザキトワのおかげで人気が沸騰した秋田犬の里だ。駅前には「秋田犬ふれあい処」という観光スポットもあるようだが、残念ながら次の弘前行きの列車8651Mは7分の待ち合わせ時間しかない。仕方がないので秋田犬との触れ合いは駅前の「秋田犬の像」で我慢した。
この程度の接続時間なら弘前まで直通してくれ、と思うが大館を超えて弘前方面に直通する下り普通列車は1日に2本しかない。ただその代わりと言ってはなんだが、ここではやけに接続が良いのだ。実はこの先、弘前での乗り継ぎも7分ということで、昨日の接続待ち時間とは大違いだ。結構スムーズに乗り換えられる。ただしこの列車はJRの時刻表によると6月30日まで運転の不定期列車となっている。この列車がなくなると次の弘前方面は13時台まで空いてしまう。時期によっては注意が必要だ。
ところで接続時間はたいへんスムーズになってはいるが、乗り換えは跨線橋を渡らなければならず、秋田方面から弘前方面に乗り換える乗客にとって利便性はあまり良くない。つまりそういう利用者はあまりいないということのようだ。
大館・弘前間は駅数にすればわずか8駅、所要時間も約40分と今回の全行程中最も乗車時間は短い。ここまでと同じ2両編成だが、1647Mより乗客はさらに少なくなった。時間にもよるのだろうが、ここから山間部を抜けることもあるだろう。
それにしても面白いことにこれまで以上に乗客が少なそうな区間を走るこの列車はワンマン運転ではない。なぜだろうと思っていたら、その謎は弘前に近づいたところで解決した。
謎が解決する直前、大鰐温泉駅に弘南鉄道の旧東急7000系である7000系が止まっているのが見えた。この写真ではよくわからないが、パッと見ただけだと「もうぼちぼち廃車です」と言わんばかりの老朽化具合が痛々しかった。しかしまだまだ現役だ。冷房もついていないオリジナルスタイルでもう少しがんばって走り続けてほしい。
さて実は大鰐温泉の2つ手前の碇ヶ関から少しずつ乗客が増え始めた。このあたりから弘前市の近郊区間になっているようだ。そして弘前の2つ手前の石川駅で大勢の高校生がどっと乗り込んできた。駅のすぐ近くには東奥義塾高校がある。弘南鉄道には学校の要請で設置された、より学校に近い「義塾高校前駅」もあり本数も弘南線の方が多いがこちらも結構な利用者がいるようだ。少々下校時間には早いがおそらく学期始めで早めの下校となったのだろう。2両編成の車内は座席こそ空きがあるものの、一気に都会の電車の風景になった。このようにおそらく弘前地区の利用者が多いこともあって、この区間はワンマン運転になっていないのかと納得した。さすがにこの乗車率では無遠慮に混雑した車内の写真を撮るのは憚られたので画像はないが、弘前がこの地域の中核都市であることを再認識した。
余談だが東奥義塾の創立は1872年と150年近い歴史を持つ私学高校だ。後日調べたところ、かつては公立学校だったが大正時代に廃校となったものを、プロテスタント系の私学学校として再興したとのことだ。卒業生にはアルベール五輪以降4大会連続で五輪に出場した日本を代表するアルペンスキー選手、木村公宣氏もいるそうだ。
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右の列車が弘前まで運んでくれた8651M 左は堂々の653M6連 |
さて高校生たちで賑わう列車はこれまた定刻に弘前駅に到着した。ここからいよいよ最終ランナー青森行き653Mに乗り換える。前述の通り乗り継ぎ時間は7分しかないが、弘前では同じホームでの乗り換えなので、余裕がある。
さて乗り換えか、と思ってホームに降り立って驚いた。ここまでは2両編成だったが、この653Mはいきなりの6両(!)編成だ。3連2本をつないだ編成だが運用の都合もあるのだろうが、この日中の時間帯でもこの輸送量を確保しているというのは驚きだ。もはや大都市圏の通勤電車と風景としてはあまり変わらない。異なるのは乗車するにあたり、ドア扱いのボタンを押すことぐらいだ。
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何回乗り継いでも701系の同じ顔が出迎える
さて乗る前に653Mの記念写真でも、と思いつつホームから留置線側を見ると、、、
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少々アングルが悪く迫力が伝わらないが、この編成に隠れている裏側も含め、構内の留置線が701系で埋め尽くされている。圧倒的な数的有利、ここまでくると701系の一大繁殖地の様相だ。もはや大ベテラン40系気動車も特急用E751系もここでは肩身が狭そうだ。ここに「青森・秋田の輸送は俺に任せろ!」と言わんばかりの、北東北のグローバルスタンダード(スケールが大きいのか小さいのかよくわからないが)・701系の矜持を見た気がするのである。大げさか?
さあ「ロングシートの旅」も終わりだ。6両編成の701系に感謝しながら(なんで?)乗り込んだ。あとは新青森に降り立つだけだ。
車窓からは岩木山の荘厳な姿が見えてきた。さらに車窓をこれから花をつけるであろう、本格的な春を待つリンゴ畑の木々が次々と流れる。しばしついにみちのくの旅が終わりに近づいてきたという感慨に耽る。
列車は3代目大釈迦トンネルをくぐりぬけ狭隘な谷筋を縫うように走り、ついに青森平野にたどりついた。
秋田からの所要時間は3時間18分だった。近代的な新青森駅に降り立ち、ライ・クーダーの「Across the Borderline」を聴きながら、2階のコンコースから終点青森を目指す701系を見送った。
ということで「日本海“半”縦断ロングシートの旅」めでたく完全制覇である。「ロングシート」の総乗車時間は2日間で約5時間だったが、いざ乗ってしまえばなんてことはない。ただひたすらがら空きの通勤電車に乗っているようなものだった。何と言ってもトイレがついているので東海道線の「トイレなしロングシート区間延々満員」のような地獄もないことが何よりありがたい。その点では701系は決して「絶対乗りたくない」電車ではないと断言したい。繰り返すが「感想には個人差があります」。
ということで、このあとはおまけで北海道新幹線で新函館北斗へと足を延ばすことにした。やっぱり転換クロスシートで優雅に汽車旅を楽しみたいですから。あ、言っていることが矛盾している?
なお余談であるが、3時間以上車内での食事を控えていたのでこのあと新青森で手に入れた「奥入瀬ビール インディアンペールエール」と青森県特産の山崎ポークを使った「山崎ポークカツサンド」を車内でいただいた。やはりロングシートの旅は「連続3時間が限度」であるということも付け加えてこの記事を終える。
(了)