2019年6月23日日曜日

大阪環状線考 【その3・天王寺ワンダーランド】

引き続き大阪環状線のお話である。

途中脱線が多くて話が先に進んでいないが、大阪環状線の研究(?)の続きを進める。大正駅で重厚感あるダブルワーレントラスの木津川橋りょうをたっぷり観察した後は、いよいよ環状線の南のターミナル、天王寺へと向かう。ここまで我ながら途中下車が多く、「やっとか」という感じである。
やってきたのは大阪環状線のニューフェース・323系電車だ。国鉄時代から走り続けてきた201系に引導を渡した最新鋭車両とは如何なものか、興味津々で乗り込んだ。
ここでまた関東と関西を比較することになるが、これまで関東圏(に限らないが)では211系など近郊型の「3ドア」車を混雑緩和のためにE231系などの「4ドア」車にしてきたが、ご当地大阪では「4ドア」の201系を「3ドア」の323系で置き換えるという、これまた関東とは逆の更新を行った。確かに環状線の列車は3ドア車の方が多数勢力だ。そもそも「3ドア」車と「4ドア」車がごちゃごちゃに走られては整列乗車も行いにくいし、何よりホームドアを設置する上で色々と問題がある。そうなると結果的にオール「3ドア」という選択肢しかなく、そういう意味では苦肉の策とも受け取れる。
とはいうものの、いくら東京圏よりは大阪圏の方が混雑度が低いとはいえ、やはりラッシュ時に3ドアではどうなんだろう?という疑問は拭えない。

 とはいえ色々と乗る前からガタガタと文句を言っていてはいけない。まずは現場百回、実際に乗ってみないことには何もわからない。ということで、早速車内を観察してみた。

3ドアならではの長〜い本当にロングなロングシートは2カ所の仕切りで座席定員をしっかり確保できるようになっている。基本的な扉間の座席定員は10名だが、シートそのものにも一人分の座席位置にバゲットシート風の凹凸がつけられているので座り心地もかなり快適だ。写真はないが優先席には一人分の座席が全て仕切り板で仕切っているのも斬新だ。
 この写真はこのあと乗り合わせた大阪環状線改造プロジェクトの一環として運行している323系「ハローキティ 環状線トレイン」のものだ。車内広告では環状線各駅をキティちゃん一族が紹介している。ドア上のサイネージはブラックフェイスでなかなか洒落たデザインだ。JR西日本のイメージキャラクターを務めている中条あやみのCMがこのモニターのシックなデザインにマッチしている。これは全く個人的な感想だが。。

ドア脇のスペースはかなり広く採ってある。先ほど扉間の座席定員が10人と紹介したが、実は8号車だけが8人掛けになっている。これは外回りの先頭車に当たる8号車が最も混雑するからだそうだが、その8号車のドア脇のスペースは大人が3人ぐらい立てそうなほど広い。ドアの脇の立ちスペースをどのくらいにするかは、車両設計でかなり悩ましい部分だそうだが、この車両はかなり大胆な設計になっている。あまり広すぎるとかえって乗降時間が長くなるという説もあるようだが、大阪でほとんどの乗客が入れ替わる環状線ならではの設計ということだろう。
ちょっと意外なのは、こんな大都市の中心を走る電車にも関わらず、ドアの半自動扱いができるように開閉ボタンがついている点だ。山手線にこんなボタンがあったらちょっとびっくりする。関西線・阪和線への乗り入れも考慮されているのだが、これも大阪環状線ならではの特徴だろう。

それにしてもキティちゃん一族、あの手この手の趣向を凝らして大阪環状線のために大活躍である。キティちゃん好きにはたまらないだろう。いずれにしても323系の完成度は山手線のE235系と比べるとこちらの方が高いと思う。単なる主観に過ぎないが。
鶴橋駅で撮影したハローキティトレインの外観 正面にもすでに「何匹も」いる
ということでやってきました、天王寺。大阪環状線の各駅にはキティちゃんが駅名表示板にもしれっと登場しているが、ここ天王寺では最寄りの天王寺動物園にちなんでキリンもゾウも参加している。

さて環状線の大阪を東京とすれば天王寺は品川か新宿といったところか。大阪有数の一大ターミナルだ。乗ってきた列車は環状線普通列車なのでこのまま鶴橋方面まで環状運転を続けるが、多くの列車はここから阪和線方面か関西線方面へ向かうが、ここから大阪環状線のカオス状態は一層ヒートアップするのである。


天王寺から継続して環状運転する列車は、掘割式になっているいわば「下段」ホームを使って発着する。このうち内回りの環状線は「下段」で一番北側の11・12番線を使っているが、阪和線・関西線に直通する列車はそれぞれ各方面別のホームへ入線するので、列車は天王寺の手前で結構目まぐるしく転線している。特に関空・紀州路快速は関西線方面の列車と同じホームで乗り換えることができる。ということで、各ホームを見にいってみた。
関空・紀州路快速が到着した阪和線15番ホームの反対側16番ホームには、これまた関西線系統で最後の活躍を続けている201系の王子行き普通列車が発車を待っていた。関東ではなかったウグイス色のカラーリングが新鮮に映る。

いわゆる大和路線方面の電車はこのように環状線と同じホームから出発するので、乗り換えは極めてスムーズだ。環状線内回りから来た関空・紀州路快速がつくとほどなく大和路線の王子行きが発車していく。一方で大和路快速と阪和線方面に向かう列車とは基本的には階段を介しての乗り換えになる。
といえば大変簡単だが、実はこれも関西初心者にとってはそう簡単には理解しにくい。
16番線から王子行きの普通列車が発車 左に見えているのは環状線から来た関空・紀州路快速
結論から言うと環状線内回りの列車から天王寺で各方面に向かうには、関空・紀州路快速から大和路線方面に乗り換える場合は同じホームで乗り換えられるが、それ以外のパターンは基本的に階段・エスカレーターなどを使って別のホームに行くことになる。おなじ内回りの列車でも、環状線を鶴橋方面に継続運転する環状線普通列車はだいたい本来の環状線内回りホームである11番線を使って発着するので、「本来の環状線電車」(変な言い方だが)に乗ってきた場合、乗り換えには必ず階段などを使う必要がある。
頭端式の阪和線ホーム1〜8番線にむかう階段 駅の東寄りにある「阪和こ線橋」につながっている
天王寺駅の特徴は阪和線方面の主な列車が行き止まりになっている、いわゆる頭端式の阪和線専用ホームを使っていることだ。よく知られている通り天王寺駅はかつて阪和電鉄のターミナルだった頭端式のホームを使った1〜9番線(ホーム)と、もともと大阪鉄道の開通時にできた掘割部分にある中間駅式の11〜18番線(ホーム)で構成されている。(10番ホームは欠番)頭端式のホームは上町台地の上にあるので、環状線ホームから見るといわゆる「上段」に位置していることになる。ほとんどの阪和線列車は「上段」側から始発・終着列車として出発・到着する。

したがって案内表示板を見ると次々と列車が出発するのがわかるが、阪和線方面は列車によって乗り場が異なるので、初めて利用する人にはいささかわかりにくい。
さらにはまたまた言いたくはないが関東と関西の「逆転現象」を指摘したくなる。頭端式と中間駅式を複合したターミナル駅というと、関東では上野駅やかつての両国駅が有名だが、この両駅は頭端駅側が「下段」である地上駅で、中間駅側が「上段」にあたる高架線になっている。つまりこの天王寺とは見かけ上「上段」と「下段」が関東の駅とは逆だ。鶴見線の鶴見駅が天王寺と構造的には近いが、いかにもスケールが違う。
地形の問題とはいえ、ここまで東京と大阪で正反対なものを見つけると、かなり面白い。

さてその問題(?)の頭端式の阪和線ホームに上がってみるとその上屋のデザインとスケールに驚かされる。ホーム5面がずらりと並ぶ光景は壮観の一言に尽きる。特に外光が差し込んでくる上屋のデザインはどことなくイングリッシュガーデンにある温室のような佇まいでちょっと日本離れした風景にも見える。BGMを選ぶならエルトン・ジョンの「This Train Don't Stop There Anymoreがピタッとハマりそうだ。レトロ感も存分にあり、私鉄のターミナルだった往時の雰囲気がひしひしと伝わってくる。

8・9番ホーム間の線路上は上屋が途切れているが基本的なデザインは統一されている


ところで細かいことが気になる悪い癖ではあるが、阪和線のホームの駅名表示板は下半分がラインカラーのオレンジ色だ。JR西日本カラーのブルーに見慣れている自分としては新鮮だが、よく調べたらラインカラーが設定されている路線はどこも下半分がその線区のカラーになっているとのことだった。そういえば環状線の駅名表示も下半分はラインカラーの赤だった。ただ環状線のものはベースが黒に駅名は白文字表示で下半分が赤だ。つまりそもそも全体のデザインが根本的に異なっていたので、ラインカラーを表示していることに気がついていなかったのだ。
 それはいいとして、阪和線ホームを次々と列車が発着している様子を見ていると、大手私鉄のターミナル駅にいるかのような気分になってくる。あらためて一大幹線のターミナルであることを実感する。
各方面へのあらゆる列車の案内表示がずらりと並ぶ
この発着の頻度を見れば、環状線の列車が複雑な運行になる理由がよくわかる。もともと大阪ミナミの国鉄線ターミナルはは阪和線の終点である天王寺と関西線の終点である現JR難波(旧湊川)と2つに分散していた。このため大阪キタ方面に向かう人たちは必ず天王寺で乗り換えを強いられていた。環状線が全通する以前はもちろん、大阪方面への直通列車がなかった時代は利便性が悪いことこの上なかっただろう。環状線に直通する列車が走り始めたのは1970年代と比較的歴史は浅いが、人口が増えてきた高度成長期には環状線への直通運転は利便性の向上には必然だったはずだ。
東京では首都圏の「通勤5方面作戦」で輸送量を増やしてきたが、それも元々は環状運転を行う山手線には中央線という環状線の中心部をショートカットする複々線の路線があり、さらには環状線部分にも複々線や3複線区間もあったおかげで京浜東北線のように比較的運行系統が効率的かつわかりやすく分離することができた。ごく新しいところでは埼京線や湘南新宿ラインも似たようなものだ。ところが大阪の場合は東京とはやや目的が違うとはいえ、東海道・山陽線が走る東西方向以外はほとんど複線区間しかなく、その上都市化が進んだ環状線は線路を増やす余裕がない。こうなると運転計画だけでどうにかするしかなかったのは容易に想像できる。そういう視点で見ると、現在の環状線のダイヤは実によく考えられている。
環状線・関西線の地上側につながる阪和線ホーム9番線の連絡通路
降車専用の9番線からは乗り換えがスムーズ
天王寺駅はスケールの大きな駅構内の構造に加えて、その複雑なダイヤ構成の要の駅であるという点で、大変奥の深いワンダーランドだ。
改札を出て、今も民衆駅の名残がしっかり残る「天王寺ミオプラザ」の威容を見に行ってみた。ここにも規模の大きさが一大ターミナルである天王寺駅の矜持を感じるのである。

 ということで、次回はこのシリーズの最後に環状線のメインストリームである鶴橋方面の東側を制覇する。(続く)

2019年6月11日火曜日

【臨時停車】北海道新幹線トンボ返りの旅

大阪を旅しているが、ここで話題を一時“途中下車”して先日の「ロングシートの旅」後に訪ねた北海道新幹線の話をひとつ

今年4月のダイヤ改正で、北海道新幹線のスピードアップが図られた。青函トンネル内の最高速度がこれまでの140kmから160kmに引き上げられたことにより、東京・新函館北斗間の所要時間が最速列車でついにわずかながらも4時間を切って3時間58分となった。今回はそのスピードアップした区間を実体験しつつ、北海道新幹線の現状を観察してきた。
アーティスティックなイメージの新青森駅前
さんざん秋田から701系のロングシートで揺られてきたこともあり、早くE5系に乗り込みたいところだが、乗り継ぎに少々時間があったので初めて新青森駅の駅前を見学した。私は新青森駅を利用したのはこれでもう5回目だが、改札を出たのは初めてだ。開業したばかりの頃は、本当に駅だけが「ポツンと一軒家」状態だったが、今ではだいぶ新幹線の駅前らしい雰囲気になってきた。とはいえ田園風景の中に近代的な駅舎だけが威容を誇っている様は、未だになんともアンバランスな感は否めない。
ということで早速東京からやってきた「はやぶさ15号」に乗り込んだ。北海道新幹線内は全駅停車の各駅停車タイプだ。

余談だが、新青森駅のホームは豪雪地帯の駅ということで全て屋根に覆われているが、大きな窓と天井を支えるトラス構造から見える景色がちょっと「ダブルワーレントラス」っぽい雰囲気を醸し出している。
新青森を出るとすぐに田園風景が広がる
ちなみに今回は「青春18きっぷ」の旅の番外編なので、新青森・新函館北斗間は「トクだ値40」を利用している。片道4500円弱、正規運賃なら約7000円なので名実ともにお得だ。したがって気分的にも余裕が出てくる。ということで「ロングシートの旅」完結編でちょっと触れた奥入瀬ビールで一服、と思った瞬間、対向するH5系による東京行き「はやぶさ24号」とすれ違った。滅多にお目にかかることのないH5系だが、この決定的瞬間を収めることに成功した。大した話ではないが何せ200kmを超える列車同士のすれ違いである。画面構成がひどいが写っているだけでラッキーだ。
それはいいとして、あらためて本題に戻る。午後の早い時間帯を走る北海道新幹線の乗車率はというと、いささか悲しいほどの空席が広がっていた。自分が乗車している8号車は車内を見渡したところ自分を含めて6人だけだ。まあ平日の昼下がりということを考えればこんなものなのかもしれないが、これではさすがに心配になる。ただ津軽海峡を越えて北海道への旅を誘うJR北海道の乗務員の素朴な車内アナウンスが気持ちを和ませてくれる。いいぞ。頑張れ、JR北海道。
事実上貸切状態の車内
そんなことを考えているうちに早くも「はやぶさ」は奥津軽いまべつに到着した。所要時間わずかに15分。果たして乗降客はいかに?と思って車内からホームを見渡したところ、わずかに数人の人影が見えただけだった。こうなるといよいよ「こんなところにポツンと新幹線の駅」と言わざるを得ない。
当分列車が来ない上りホームは当然人影もなく無人駅のよう
乗っている側からすれば、がら空きの列車は思いっきり羽を伸ばして寛げるという点では全く文句はないのだが、JR北海道の実情を考えるとどうにも複雑な気持ちにならざるを得ない。
列車は誰も乗車しなかった奥津軽いまべつを定刻通り出発して、ほどなく青函トンネルに突入した。ここからが今回のスピードアップ区間だが、実際に乗っている体感はこれまでとそう大きく変わらない。ただスラブ軌道を疾走する走行音は以前より少し大きくなっているような気がしたが、多分これは気のせいだろう。
実は自分は北海道新幹線が開業した2016年3月26日の当日、東京から新函館北斗まで下り最終の「はやぶさ37号」に乗ったのだが、この最も華やかな開業初日の最終列車ですら既に今回の「はやぶさ15号」と概ね同じ乗車率だったことを思い出した。新函館北斗着が23時を過ぎるとはいえ、いかにも寂しい開業初日の最終列車だった。2019年現在でも臨時列車と区間運転の「はやて」を含めて1日15往復しか列車が設定されていないのも無理はないが、この状況を札幌開業まで続けることになると、いよいよ新幹線までがJR北海道の経営を圧迫することになりかねない。本数が少ないから乗らないのか、乗客が少ないから本数が少ないのか、とにかく何でもいいから乗ってもらう方策を考えないとどうにもならない。


青函トンネルを約20分とちょっとで走り抜けるとそこはもう北海道だ。これまた車掌による北海道乗陸を告げるアナウンスが流れ、一段と北の旅の気分を盛り上げる。なんだかんだ言ってもやはり鉄道で、それも乗り換えなしで北海道にやってくるという体験は格別だ。
最後の途中停車駅、木古内の乗降も奥津軽いまべつよりは微増したとはいえ、やはり利用者の姿はまばらだった。木古内を過ぎると進行方向右手に函館山が見えてくる。東北・北海道新幹線ではナンバーワンの絶景ではないだろうか。否が応でも「はるばる来たぜ、函館へ」と言いたくなってくる。

新青森から1時間2分で新函館北斗駅に到着した。全駅停車のはやぶさでもほぼ1時間で津軽海峡を越えてくるのだから、あらためて新幹線の凄さというかありがたさを実感する。さすがに新函館北斗では結構な人数の人たちが降りてきた。それでも3割程度の乗車率といったところだろうか、少ないことには変わりない。ただ、自分は北海道新幹線の利用はこれで4回目だが、回を追うごとに明らかに外国人観光客の姿が増えてきている。外国からの観光客のみなさんにとっては、やはり「ニホンのシンカンセン」に乗ることそのものが観光目的になっているのかもしれない。こうした人たちの一層の掘り起こしも必要だろう。
さてこちらもいくら新幹線に乗ることだけが目的とはいえ、このまま新函館北斗で本州方面にとんぼ返りするのはいかにも頭が悪い。この際なので、函館まで足を延ばすことにした。

この「はやぶさ15号」に接続する函館方面の列車は約14分の待ち合わせで発車する「はこだてライナー」があるが、その11分後には普通列車の函館行きがやってくる。
ここまで散々ロングシートに乗ってきた身としては(好き好んでやっているのだが)、ここはやはり北海道の大定番「キハ40」に乗らない手はない。いや、そうでなくては北海道の鉄道に失礼だろう(なんで?)。ということで11分の余裕時間は「サッポロクラシック」で一服することにして、普通列車函館行き4834Dを待った。意外にも「はこだてライナー」を見送って、こちらの普通列車を選択した外国人観光客もちらほら散見した。

とはいうものの、乗ってみればキハ40の単行運転にもかかわらず車内はガラガラ、北海道のローカル線ムード満載だ。それにしてもやはり国鉄時代そのままのムードを残す対面式クロスシートは旅情をかきたてる。重厚なディーゼルの音が昭和の旅を思い出させてくれる。こうなるとBGMは必然的にクリームの「WhiteRoom」を聞かざるを得ない。しかしながら、このキハ40の普通列車、はこだてライナーの733系と比べると「大丈夫か?」と思ってしまうほど遅い。このあたりは線路の問題もないはずだが、鉄道には興味がない人にとって、それも急ぎの旅にはいささか不向きだろう。
新函館北斗を発車すると、進行方向右手に北海道新幹線の函館新幹線総合車両所が間近に見えてくる。まだ部分開通の輸送量に合わせた小規模な車両基地なので、空き地が目立つ。その広大な敷地に青函トンネル内での不測の事態に備えて待機しているH5系1編成だけが留置されているのが車窓からもよく見える。そもそもここにはH5系4編成しか所属していないのだから仕方がないが、いささかさみしい光景だ。それにしても救援用に新幹線1編成を常に待機させているというのも、経営難にあえぐ会社のやっていることとしては何ともいえないが、世界一贅沢な救援車であることは間違いない。救援用ならばお古のE2系あたりをドア位置だけ合わせて改造して使う手もありそうだが、そこまで投資する方が無駄ということなのだろう。それにしても安全対策とはいえ勿体無い感じは否めない。
ノロノロとのんびり走ること26分で終着函館に到着した。広大な構内には「道南いさりび鉄道」のカラフルなキハ40系が止まっていた。がらーんとした構内にちょっと華やかな彩りを添えている。
さて、はるばる来た函館だが、帰りの列車までの余裕時間は2時間弱しかない。駅前で時間を潰す以外、どこに行くこともできないのでとりあえず函館市場の空いている店で海鮮丼をいただいて(もちろんサッポロクラシックは必須だ)駅前に戻った。
入り口が閉鎖された本館 駅に近いアネックス館は「函館駅前ビル」として新しいテナントが入居している
函館駅前には「棒二森屋」という老舗百貨店があったが、残念ながら2019年1月でデパートとしては閉店してしまった。「ぼーにもりや」というインパクト抜群の店名だが、秋田の「木内」と並んで90年近い歴史を持つ地方百貨店の雄として地元函館の商業を支えてきた。しかしながらイオンのような郊外型大規模店舗の進出やネットショップの普及で売り上げは減少し続けたという。函館の「棒二森屋」は正式には「中合棒二森屋店」という名の通り、晩年は福島・青森で百貨店を運営している「中合」傘下のデパートだった。店内には無印良品や北海道では数少ない成城石井の商品を扱う食料品売り場が入っていたようだが、皮肉なことに新幹線開通後の駅前周辺再開発でテナントの退出が進んでしまったことも経営を圧迫したようだ。
「地方百貨店巡り」は馬鹿列車の数少ない旅行目的の一つだが、こうした歴史のある地方のデパートが姿を消すのは実に残念だ。残る各店は馬鹿列車が行くまで頑張っていただきたい。


駅前をこれまたカラフルな市営の路面電車が結構な頻度で行き来しているのをしばし見物して、再び函館駅に向かった。今度は「はこだてライナー」で新函館北斗まで向かう以外の選択肢がないので、再びロングシートの小旅行となる。
ラベンダーカラーの帯がイカした733系1000番台だがロングシートはいただけない
それにしても、これは既に多くの人々から意見が上がっているが、いくら20分弱の乗車とはいえ、東京から新幹線で来てくれたお客をロングシートの3両編成に乗せるという感覚はなかなか理解に苦しむ。そもそもロングシートが必要になるほど混むのなら、その時は6連にすればいいだけだし(実際に繁忙期は6連になる)、この乗車率ならば常時転換クロスシート車で十分だ。そういう意味では秋田・青森地区の701系どころの騒ぎではない。4時間も新幹線に揺られて、重い荷物を持って北海道までやって来たのに最後に通勤電車然とした列車に乗せられてはたまらない。何かとロングシートの方が管理しやすいし経営が大変なのはわかるが、「道南いさりび鉄道」を見習ってもう少し努力してほしいものだ。
帰りの列車は今回のダイヤ改正で東京~新函館北斗間の所要時間4時間の壁を突破した最速列車「はやぶさ38号」だ。新青森までノンストップ、新函館北斗・新青森間を57分で駆け抜ける「いだてん」である。乗車前に新函館北斗駅のホームから延伸工事が進む札幌方面を望むと、2年前と比べて少しずつだが着実に工事が進んでいるように見えた。

ここからは自分の私見だが、最近までしばらくの間北海道(それも道北)に住んでいた経験から言わせてもらえば、本来ならば北海道新幹線は「札幌・新函館北斗」間を先行開業させて、それから本州と繋いだ方が戦略的にはどう考えても有利だったのではないかとつくづく思う。北海道は札幌〜函館間のアクセスが悪くどんなに頑張っても地上では3時間以上は移動にかかってしまう。航空機なら窮屈なサーブ340に揺られて45分だが、札幌側は新千歳かもしくは決してアクセスが良いとは言えない丘珠だ。もし新幹線で札幌函館間が1時間になっていれば、観光もビジネスも北海道全体の経済に及ぼす効果は絶大だったのではないか。いずれ「妄想馬鹿列車の回」で「札幌・新函館北斗」先行開業シミュレーションをやってみたいが、もしそうなっていたら新千歳経由の空路利用の狭間をつく効果的なダイヤも可能になっていたかもしれない。
ということで新函館北斗のキオスクで買ったサッポロクラシック春の限定ラベルを片手に、車中でそんな過去の夢物語に想いを巡らせているうちにウトウトしてしまった。惰眠を貪り始めた鉄道馬鹿を乗せたはやぶさは気がつくと既に津軽海峡を越えて既に新青森も過ぎていた。一路東京に向けて快走を続ける車内で、札幌まで新幹線で旅する日を夢見ながら再び眠りについた。